Filmic
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食品メーカーの技術者から、映像の仕事へ。

2012年、ディズニーの写真を撮りたくてデジカメを買いました。会社勤めのかたわら写真を続け、映像の仕事に移り、いまはFilmicで営業から制作までやっています。

中嶋 優貴Yuki Nakajima

これまでのこと

写真との出会いと進路

僕の入り口は、動画ではなく写真でした。高校生の頃は、友達と年に1〜2回ディズニーに行く程度でした。それでも、東京ディズニーシーの期間限定ハーバーショー「BeMagical!」を見たとき、普段はショーを見ないのに、なぜか見入ってしまったんです。帰ってからも名残惜しくて、YouTubeで誰かが撮った記録映像を何度も見ていました。2012年に、バイト代を貯めてデジカメを買い、写真を撮るようになりました。

でも、進路をめぐって父親と喧嘩をした時に、そのデジカメが水没して使えなくなりました。通っていたのは少し変わった高校で、ものづくりを学ぶ「クラフト分野」に所属し、コンピューターで設計するCADや、旋盤、溶接などを学んでいました。ただ、やりたい仕事も将来の夢もなく、進路には漠然とした不安がありました。

進学する目的もなかったので、働こうと決めました。求人票の束から給料が高めのところを探していたら、日本水産(今の株式会社ニッスイ)がありました。よく食べていた冷凍食品の焼きおにぎりを作っている会社だと分かって、愛着が湧きました。この会社に行きたいと思えたんです。

日本水産(現ニッスイ)技術開発センター技術開発課 時代の名刺

休日の写真と、仕事で学んだこと

2013年3月、高校を卒業するとき、コバというあだ名の友達が「就職祝いに何か買ってあげる」と言ってくれました。買ってくれたのは、ニコンの一眼レフ、D3100のレンズキットです。当時4万円くらいのものでした。これをきっかけに、本格的に一眼レフを触り始めました。コバには本当に感謝しています。

4月にニッスイに入社しました。もともとは工場に配属される予定でしたが、高卒では初めてという異例の形で、大卒や院卒と同じ研究開発の部署に配属されることになりました。研修は3ヶ月ほどあり、全国の工場や市場、スーパーを回りました。本当に学びの多い3ヶ月でした。何が評価されたのかは、今も分かりません。面接で、海外に行ったこともないのに「海外で活躍できる人になりたい」と強く話したことなのか、研修中の何かなのか。ニッスイが僕の高校に求人票を出したのも初めてだったそうで、幸運が重なったと思っています。

6月には最初のボーナスで、東京ディズニーランドと東京ディズニーシーの両方に行ける共通の年間パスポートを買いました。休日は写真を撮りに通っていました。特に好きだったのが、シーの夜のショー「ファンタズミック」です。暗いし、動くものを撮るとぶれる。もっと綺麗に残したくて、設定を変えながら格闘していました。

そのうち、ディズニーの外でも写真を撮るようになりました。代々木公園で、初めて会う方のポートレートを撮ったことがあります。角度や顔の向き、構図を変えて、何枚も撮りました。ようやくいいと思える一枚を見せると、「私ってこんな可愛く写れるんだ」というようなことを言ってくれたんです。自分の写真で、その人が新しい一面を見つけてくれた。それがすごく嬉しかったです。

平日はニッスイの技術センター技術開発課で、工場の生産性向上支援や技術教育、機械開発をしていました。先輩たちは本当にいい人ばかりで、僕に足りないことや、読むといい本を教えてくれて、毎日が学びでした。うまくいかずに苦しくなることもありましたが、先輩たちと取り組む中で、前提条件や問題点から考える力がついた4年間でした。先輩主導の機械開発では、僕は異物を排除する機構を担当しました。その取り組みは、国際特許の取得にもつながりました。

写真で独立して、動画へ

2017年にニッスイを辞めて、写真で仕事をしようとしました。忍者の格好で外国人観光客を撮る「忍者フォトグラファー」という活動もしていました。写真だけでは生活できず、日雇いの仕事やUber Eatsの配達をしていました。当時、配達は都心でしかできず、毎日往復2〜3時間かけて通っていたんです。

そんな時に、活動を応援してくれていた方が、恵比寿の一等地にあるマンションの一室を無料で貸してくれたんです。そこで3ヶ月ほど暮らし、移動にかかっていた時間を使って、ようやく動画をしっかり勉強できました。動画編集ソフトのFinal Cut Proを買いました。当時は日本で編集の解説動画を出す人が少なく、海外のチュートリアル動画を見て、見よう見まねでいろいろ作っていました。

その後、2017年から2018年にかけて、台湾、パリ、ベネチアへ3ヶ月ほど行きました。台湾ではお金が足りず、野宿をしていた時期もあります。食べるものや寝る場所の確保で精一杯になると、写真も楽しめないし、考えられなくなるんです。衣食住が整わないと、こんなに思考の幅が狭くなるのかと感じました。

一方で、親からも仕事からも離れて過ごすのは、人生で初めてでした。知らない土地で、日本語を話す相手もいない。写真を撮りながら、僕にしか撮れない写真って何なんだろうと、毎日ひたすら自分の人生を振り返っていました。僕は長男で、子どもの頃は留守番のときに一人でブロックを組んで遊んでいました。小学校では図工が好きで、中学では技術家庭科、高校ではものづくり。そして写真。好きだったことを並べて「要は何なのか」と考えたら、共通していたのは、考えたことを形にすることでした。無意識にやってきたことの軸に、22歳で初めて気づいたんです。この「要はどういうことか」と考える癖は、ニッスイの先輩にしつこく言われて身についたものでした。

写真より動画の方が伝えられる情報が多く、作り手としても面白い。そう思い始めて、旅の途中から動画も作るようになりました。帰国を前に、ベネチアの1泊1000円ほどのゲストハウスから、帰ったら何をしようかという悩みをFacebookライブで話したことがあります。それを見た知人が「一緒に映像をやろう」と声をかけてくれました。帰国した日は家に帰らず、東京駅で待ち合わせました。そのまま2018年に映像制作会社のエイジメディアに入り、その人と2年ほどシェアハウスで暮らしながら、休みも関係なく動画のことをやっていました。衣食住がある状態で、好きなことをして給料をもらえる。海外での日々があったからこそ、それが本当に幸せでした。

Filmicと今の仕事

2019年の夏に独立しました。カメラに出会うまで、やりたいことが何もなかった僕の人生は、カメラを持ってから大きく広がりました。撮った写真で誰かが喜んでくれる。その先に動画があって、自分はどこまでやれるのか試したくなったんです。計画はあまりなく、正直、怖かった。独立した当初は、何ヶ月も生きた心地がしませんでした。不安に思っていても仕方がないので、今できることを考えて、営業も撮影も編集も全部自分でやりました。そこへコロナ禍です。ニッスイ時代に技術教育で人前に立っていたことが役に立ち、オンラインサロンの動画講師を引き受け、展示会への出展も続けて、なんとか食いつなぎました。あの時これをしていなかったら今はない、ということの連続で、少しずつ大きくなってきました。

2022年に映像制作の会社、株式会社Filmic(フィルミック)を立ち上げました。社名をどうするか、半年くらい悩みました。原点のファンタズミックと、映像のフィルムを組み合わせて、これだと思ったんです。造語のつもりで考えたら、すでにある英単語だったんですけど、気に入っています。

今も、撮ったものを仕上げていく作業が好きです。写真を補正するレタッチも、映像の色を調整する作業も、すごく好きなんですよ。撮った素材の見え方が、仕上げで変わっていくのが面白い。動画は、その会社やサービス、人の分身だと思っているので、どう見えるかには気を配りたいと思っています。

仕事では、実写の撮影や編集、アニメーションなど、自分でやってきたこともあれば、僕自身にはできないこともあります。楽曲制作や、立体的な映像を作る3DCGなどでは、その分野の人とチームを組みます。相談をいただくたびに体制を考えています。僕一人ではできなくても、会社としてできることが増えてきました。

映像制作は、いろんな業界の内側を知れるところも面白いです。もちろん仕事を受けたいという本心はありますが、本当に何がいいのかは、向かい合って考えたいと思っています。動画を作ることがもう決まっていれば、その会社の今のお客さんは何をいいと思っているのか、どんな声があるのかを聞いていきます。これからもいろんな会社の方と仕事をしたいですし、フランクすぎず、丁寧すぎず、自然体でいろいろとお話ししていけたらと思っています。

これまでの流れ

  1. 2012年ディズニーで写真を撮るため、デジタルカメラを購入。
  2. 2013年3月高校を卒業。友人のコバから、就職祝いにニコンの一眼レフ D3100 をもらう。
  3. 2013年4月日本水産(今の株式会社ニッスイ)に入社。3ヶ月の研修を経て、研究開発部署に配属。
  4. 2013年6月最初のボーナスで、東京ディズニーランドと東京ディズニーシーの共通年間パスポートを購入。
  5. 2013〜2017年生産性向上支援・技術教育・機械開発に従事。先輩主導の機械開発で異物を排除する機構を担当し、その取り組みが国際特許の取得につながる。
  6. 2017年ニッスイを退職し、フォトグラファーとして活動。日雇いの仕事やUber Eatsの配達と並行して、動画編集を学ぶ。
  7. 2017〜2018年台湾・パリ・ベネチアに約3ヶ月滞在し、写真を撮る。
  8. 2018年帰国のタイミングで知人に声をかけてもらい、映像制作会社エイジメディアに入社。
  9. 2019年夏独立し、映像制作事業を開始。コロナ禍でも展示会に出展し、営業を続ける。
  10. 2022年株式会社Filmicを設立。

技術開発から写真、映像へ。分野は変わっても、考えたことを形にする仕事を続けています。

だから今

理系の論理と、現場の表現力

LOGIC

構造で考える力

研究開発・国際特許・技術教育で培った、課題を分解し検証する思考

CREATIVE

形にする力

企画から撮影・編集まで、自ら手を動かしてきた現場の表現力

AIの学習に、日々時間と費用をかけています。

業務効率化と映像表現の両方で、AIを学び、仕事に取り入れています。文字起こしや議事録、企画のたたき台、絵コンテ、見積や資料の作成には毎案件使い、素材や背景、アニメーション、音声、モーションの生成にも使っています。どこにAIを使い、どこに人の手をかけるかは、案件ごとに決めています。企画や仕上がりの判断は、人が担います。

制作を進めるうえで、やり取りや認識のすり合わせも大切にしています。依頼する側とつくる側が、お互いに仕事をしやすい状態を目指しています。

普段から、撮っています。

仕事の外でも、シャッターを切る。

映像の入り口は、写真でした。2013年から一眼レフを持ち、旅先でも、近所でも撮っています。ここに並ぶのは仕事ではなく、個人的に撮ってきた写真です。

ドラッグで回せます

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